おじいちゃん介護のお手紙メモリー

おじいちゃん介護のお手紙メモリー

数年間に渡る父の介護が、父の死去とともに終わり早1年、いろいろあった出来事をイラスト・レターにしたため、介護に協力してくれた3人の子供たちにちょっとずつ送ることにしました。ただ送ってももったいないので、ブログに記録し、同じような介護生活を過ごしている方々に紹介しようと思いました。いつまで続くか、どこまで書けるかわかりませんが、笑いあり、苦労あり、涙ありの介護生活をどうぞご覧ください。

介護生活1 同居の開始!

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No. 55

<2019年5月25日 私より長男へのレター>

リフォームもようやく終えて、いよいよ同居が始まりました。

 

私のマンションの売却や、引っ越しの準備、3月に引っ越しだったので費用がぼったくられたとか、混み混みで引っ越し開始が夕方だったとか、私自身のいろいろな出来事も面白いので紹介したいところですが、このブログはおじいちゃん(父)が主役なので全てすっ飛ばし。。。

 

とにかく、おじいちゃんだけでなく、家族みんながいろいろなバックグランドを持って同居がスタートしたのでした。。。

 

長男は引っ越し当初、高校3年生。横浜の公立高校に1時間かけて通うとの事で、朝早くからお弁当の用意。。。そう、受験生なので進学に関する様々な調査や将来の事を考えたり相談したりと。。。塾もあり帰宅も遅く、夕飯のお世話と後片付けで、夜遅くまでヘトヘト。。。

 

次男は横浜の私立中学にやはり1時間かけて通学。お弁当はお兄ちゃんと一緒ですね。彼は中学3年生。高校はつながっていますが、学力別で高校のコースが決まるで真剣な勉強が必要でやはり塾通い。こちらも遅い夕食に付き合わされてヘトヘト。。。

 

娘は衝撃の転校体験。小学4年生から大都会の小学校です。横浜ではのんびり、ほんわか小学校だったので、手厳しい東京の学校でうまくやっていけるのやら。。。「前の学校のままがいい」とか言っているし、親の都合の転校なのでちょっと罪悪感を感じます。。。受験するなら塾もそろそろだし、女の子だし、心配事が多い微妙な感じ。。。

 

でも新しい学校は私の母校。自分の子供が自分と同じ学校って、なんだか嬉しい。

 

 

伯母はすでに「要支援1」でした。右足の大腿骨頸部が変形性関節症でかなりの痛いようで、生活にも支障をきたしてました。お買い物は近所でなんとかこなし、お料理はちゃんと自分で作る事ができる程度。家の中であればちゃんと歩けます(ただし、かなり痛そう。。)。

 

同居しては初めて知りましたが、今までおじいちゃんの介護は一気に引き受けていたことになります。足があれだけ悪いのにほんとに大変だったかと。。。

 

 

おじいちゃんは「要支援2」。足が千鳥足で少々物忘れがあるようですが、まだ認知症の確定診断はされておらず、「1人での生活継続が困難」ということで判定を受けていたようです。伯母がおじいちゃんの症状に対し、どんなに大変な介護を行っていたかは、後に我々が思い知るのですが、この話はまた後ほど。。。

 

さて、私は私で、この頃は大きな仕事の真っただ中で多忙な毎日。国内出張や海外出張が多く、家を空けることもしばしば。。。かみさんに負担が偏らないようにとも思いますが、仕事が滞って稼ぎが無くなってもいけないので。。。がんばるしかない。

 

かみさんは、上記難題を全て引き受けることになるので、かなりの負担増になります。介護の相手は肉親ではなく、子供たちは人生の岐路に立つような重要な時期です。

 

2人で話し合ったのですが、同居にあたって基本的には将来のある子供たちを何より優先しようと決めていました。

 

介護の対象となるおじいちゃんと伯母については、もちろん可能なことは全てやるつもりでしたが、「無理は絶対にしない」、「公共のサービスを最大限利用する」、「子育て中の我々の健康を優先する」をモットーにすることにしました。

 

とは言っても相手のある話なので、なかなか思うようには行かず。。

 

結局は顔色や言葉にもちゃんと気を使いつつ、だましだましというのが現状なのでした(笑)

 

おじいちゃん、同居当初は便所もお風呂も自立していたのが良かった。
のちのちの状況から考えると、あと少し同居が遅れていたら、恐らく叔母が大変なことになっていたと思います。

 

ほんとうにギリギリの同居開始のタイミングでした?