おじいちゃん介護のお手紙メモリー

おじいちゃん介護のお手紙メモリー

数年間に渡る父の介護が、父の死去とともに終わり早1年、いろいろあった出来事をイラスト・レターにしたため、介護に協力してくれた3人の子供たちにちょっとずつ送ることにしました。ただ送ってももったいないので、ブログに記録し、同じような介護生活を過ごしている方々に紹介しようと思いました。いつまで続くか、どこまで書けるかわかりませんが、笑いあり、苦労あり、涙ありの介護生活をどうぞご覧ください。

プロローグ 9 母の7回忌についに。。。

f:id:oohiratt:20190305223112j:plain

No.9

<2019年3月7日 私から娘へレター>

「おじいちゃんは認知症ではない」と現実から目をそらすこと数か月。

母の7回忌を迎えました。

お寺の手配や親族への連絡、精進落としの準備など、まだまだ自分でこなしていたので、私が「おじいちゃんは認知症ではない」と思うのも無理もなく。。

 

ただ、やはり歩行困難で、トイレへ一人で行くのもままならず。。。

 

会話の異変もそろそろ親戚は気づき出し。。。

 

会の終わりごろ、親戚の一人が「息子さん夫婦はそろそろ同居してあげなきゃだめよ。頼りにしてるわよ」っと軽く一言を。

 

これがけっこう私達夫婦にはこたえました。

 

とっくにそのような取り組みはしており破談していたのですから。。。へこみました。

 

母の7回忌の精進落としの席で、しかもおじいちゃんの前で、あれこれ言い訳もできず、かみさんとへらへらと二人で笑うばかり。。。

 

もちろん親戚にはそんな悪意は全くなく、同居をきちんと考える私の性格を知っているからこそ、なぜそんなに先延ばしにするのか、理由を知りたかったのだと思います。

 

 

さて、実はまさにこの頃、妻に先立たれたかみさんのお父さん(義父:義母の死後、横浜の我が家の近所に住んでもらっていました)も、突然の骨粗鬆症とリウマチの発症で3度の手術を。その後、なんと車いす生活に突入してしまったのです。

 

要介護2です。

 

そう、かみさんは3人の子育てと同時に義父との最初の介護生活が既にスタートしていたのです。

 

私も大いにお手伝いをし、義父の賃貸マンションを入院中に引き払ったり、老人ホーム(義父は一人で過ごせないのを察し、自ら老人ホームでの生活を選択したのでした)を探し、入居の手続き等、全てをこなしたのでした。

 

これらの経験から、このころ急に湧いてきた不安がこちら。。

・おじいちゃん、歩行が困難で転倒で骨折するかもしれない
・骨折したら入院するかもしれない
・最悪、寝たきりになるかもしれない
・非力な叔母一人では世話ができない
・東京の実家と横浜の我が家は電車で1時間以上離れてる。とても通えない
・娘はまだ小学校低学年、上二人の男子も思春期真っただ中で家を空けられない
・妻は義父の介護をしている(ただし老人ホームで介護負担は軽減)
・私も、仕事が年齢的にピークであり、ろくにお休みも取れない
・最悪の場合、おじいちゃんのお世話はどうなる?
・私一人で東京に寝泊まりしてお世話の手伝いをすべき?

マジ、どうよう。。。
真剣に考える。

 

そして結論。
「おじいちゃんが転倒などで寝たきりになる前にやはり家族で同居すべきである」

 

 

この頃はまだ「介護離職」や「老老介護」という言葉が出回っていなかった頃ですが、「最悪、休職しなくてはならないかも?」っと真剣に考えました。

 

この状況の大きな原因の一つは母が先だった事。

 

熟年夫婦の場合、一定時期まではお互いに体力もあり介護ができる期間があります。

息子や娘の子育て期間が終了し、ちょっと生活にゆとりが出てきたころにどちらかが先立つもので、その頃に残った親を子供たちが世話をするものという。。。
これが無理のない順当なパターン。

 

これに私たちは乗れなかったのですよね。。。


義父もおじいちゃんも妻に先立たれていたのですから。
つまり対応できるのは働き盛りの私たち夫婦のみ。

 

今回の同居の決断は、平和だった頃に破断した同居の決意とは全く異なります。
腹を据えた同居、覚悟の同居でした。つまり介護が大前提。
かみさんともよく話し合いましたし、「先手を打っておく」この行動は必須を信じていました。

 

そうそう、近所のママ友達からはかなり同情の声も聞こえました。。。その通り、介護を前提とした同居ですからね。おっしゃる通りです。
もちろん、これはその後「励ましの声」に変わっていきました。

 

そして、この大きな判断が後々、本当に正しかったと実感することになります。

 

いよいよマルチ介護生活の幕開けとなります。