介護生活104 久し振りにおばとのご対面!
<2019年12月27日 私から長男へのレター>
KS病院へ転院したおじいちゃん(父)の身の回りの世話が終ると同時に、私は帯状疱疹に襲われ、1週間に入院が余儀なくなされたのでした。何とか帯状疱疹の治療に使っていたステロイドの減少も進み、ようやくおじいちゃんの介護へ復帰・合流するのでした。。。
KS病院は我が家から車で15分。
さっそく、長い間、離ればなれになっていた仲の良い姉弟の再会を実現しました。
伯母も、ずーーっと続いていた骨折入院から退院して数ヵ月、ようやく外出もできるところまでリハビリが進んだのです。
「近いからいいわっ!」とご機嫌。
我々夫婦も、誤嚥性肺炎でおじいちゃんの容体が最悪の時を見ていたので、伯母には一刻も早く再会させたかったのです。。。
ある意味、ちょっと肩の荷が下りました。
「間に合った~~~」っというのが本音。
近所になったので、行こうと思えば週2回の面会も可能です。
冬休みには何度も顔を見せることが出来るはず。
担当医の先生にも面会。
介護療養型医療施設なので、元気に戻ったら、また他の介護専門施設へ転院するのだろうか? 老人ホームも退所すべきか否か、この先にどうなるのか相談しました。
先生:「元気になったら他の施設への転院って話ですか?」
私:「えぇ、医療施設なので、医療行為が必要なくなったら他の介護施設へ転院なんですよね? 今から介護施設を探しておいた方が良いでしょうか?」
この頃の私達、おじいちゃんがたらい回しにされて、引き取ってくれる介護施設が無くなったらどうしよう?っというのが一番の心配事だったのです。。。
娘は来年に中学受験、次男は再来年に大学受験を控えており、今の我々の生活ステージでは自宅介護なんてあり得ないと考えてました。。。
先生:「あの~、退院なんてことは考えなくてもいいですよ。」
私:「えっ、調子が良くなっても、ここに居させてもらえるのでしょうか? でも、医療保険外になったらきついなぁ。。。やっぱりリーズナブルな施設を探しておいた方がいいですよね?」
先生:「あのですね、お父様がこれ以上良くなる見込みはありませんよ。」
私:「えっ?」
先生:「悪化していく一方です。進行性核上性麻痺ですよ。誤嚥性肺炎も2回なさっていらっしゃる。。。」
私:「静脈中心栄養は取れないにせよ、少しは元気になるのかと。。。」
先生:「これから麻痺が進行していくのです。スピードはどうであれ悪化の一途なのですよ。」
私:「つまり?」
先生:「当院はお父さんにとって終の棲家になると考えてください。」
私:「。。。。」
「終の棲家」。。。
なんでしょう。。。この感じ。。。
病気だから致し方ないせよ、死刑宣告のような響き。。。「終の棲家」。。。
十分予想はしていたのですが、この状況で耳に入ってくると、結構、頭の中って真っ白になるものですね。。。
しばらく放心状態。。。
かみさんや子供達、伯母にはどう説明しようか?
暫くすると落ち着いてきます。
そして、きらっ光るものが見えてくるのです。。。
そう。。。。
「介護生活が終る。。。」
不謹慎ですが、純粋にすっとこの気持ちがこみ上げてきました。
「介護生活が終る」。。。
いやいや、伯母や義父がいるので、全然終わらないのですが、いろんなことが起こったおじいちゃんの「介護生活が終る」。。。。
その後にじわじわ出てきた気持ちが、また予想に反して。。。
「あーーーっ、お葬式って、オレが喪主? どうしよう??」
「お寺の手配とか葬儀屋さんとか? えっと、葬儀の後の会食ってどこ?」
「そうだそうだ遺産分割もある。。。遺言書はどこだっけ? 相続税は大丈夫?」
ってな感じで、急に俗世間的な考えが頭の中で回転してきます。
私って、やっぱり典型的な理系、A型男子。。。
おじいちゃんに迫っている死への恐怖よりも、その次に私がやらなくてはいけない事の莫大な量のアクションの方に恐れおののいたのでした。。。
帰宅後、かみさんだけに先生からのお話を伝え、なぜか無心におじいちゃんの友人の連絡網の紙や古い年賀状を探すのでした。。。。
それから、冷静に考えると「中心静脈栄養が抜けない。。。」=「医療行為が必要」=「介護療養型医療施設に居れる」ということを思い出しました。。。
おじいちゃん。。。もうどうにもならないところまで来てしまったのか。。。