おじいちゃん介護のお手紙メモリー

おじいちゃん介護のお手紙メモリー

数年間に渡る父の介護が、父の死去とともに終わり早1年、いろいろあった出来事をイラスト・レターにしたため、介護に協力してくれた3人の子供たちにちょっとずつ送ることにしました。ただ送ってももったいないので、ブログに記録し、同じような介護生活を過ごしている方々に紹介しようと思いました。いつまで続くか、どこまで書けるかわかりませんが、笑いあり、苦労あり、涙ありの介護生活をどうぞご覧ください。

帯状疱疹18 神経内科の回診。退院許可

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エピソード18

南無阿弥陀仏」編にも記載しましたが、入院翌週に神戸で重要な仕事があり、何としても退院したいと先生に訴えていました。

 

もちろん、自身の回復の必要性はもちろんこと、変にヘルペスウイルスを持ったまま外に出ると、免疫の落ちているどなたかにうつしてしまうというリスクもあるので、先生は簡単には許可してくれません。

 

でも、幸いにも経過も良く。。。

 

最期の回診ということで、神経内科の先生が団体さんでやってきました。

 

恐らく、あの髄液採取メンバーです。

 

あの時は、意識も朦朧と、後ろ向きだったこともあり、ろくに顔も見ず、ろくに口もきけず、ただただ痛みを取ってくれ~、ゆっくり寝かせてくれ~っという状況でしたので、誰が誰だか分かりません。

 

良く見ると、おじいちゃん(父)の主治医で検査入院でもお世話になった先生が手を振っているじゃないですか!

 

「Oさーん!」っと。「おじいちゃん、元気か?」っと。


そっか。。。神経内科だもんね。おじいちゃんは認知症の治療でしたが、親子でお世話になってしまいました。。。

「はい!おかげさまで!」っと、心配させてもどうにもならないので、やっと進行性核上性麻痺と鑑別されたことや、今や中心静脈栄養に至ってしまった事は言わず。。。

 

 

さて、皮膚科の「がははははっ部長」とは異なり、神経内科の部長は「いわゆるドクター」という感じの重厚な先生。

 

「Oさん、重症だったんだよ。髄膜炎にならなくてほんと良かった。目にうつったら失明だったかもしれないよ。顔面麻痺などの後遺症も残らなくてよかったね。若いから跡は残らないよ。」っと。

 

あらためて目の軟膏剤を処方してくれた男前眼科先生にはつくづく感謝です。

 

 

おそらくこの集団では一番の下っ端の能年玲奈似の女医さん、私の主治医さん?も端の方から。。。

「もう退院できるわよ! よかったね! 経口剤に変更するからね。1週間経って何もなければ治療は終わりよ。何かあったら神経内科か皮膚科に来てね!」っと。

 

ふーーーっ、やっと退院!

 

点滴から解放だ!

 

家でかみさんの美味しいごはんが食べれる!
大好きなお酒も飲める!

 

あーーーっ、仕事も始まる!

 

大事な仕事にも出れる!

 

私の事を大事にしてくれた方、全員に感謝、感謝、感謝です!