おじいちゃん介護のお手紙メモリー

おじいちゃん介護のお手紙メモリー

数年間に渡る父の介護が、父の死去とともに終わり早1年、いろいろあった出来事をイラスト・レターにしたため、介護に協力してくれた3人の子供たちにちょっとずつ送ることにしました。ただ送ってももったいないので、ブログに記録し、同じような介護生活を過ごしている方々に紹介しようと思いました。いつまで続くか、どこまで書けるかわかりませんが、笑いあり、苦労あり、涙ありの介護生活をどうぞご覧ください。

介護生活95 どうやら、もう選択肢はなし。。。

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No. 163

<2019年11月17日 私より長男へのレター>

前回のレターで書ききれなかった心の揺れをここに。

 

先生との面会で受けたおじいちゃん(父)についてのお話は以下の通り。

・もう経口での食事の摂取は不可能である。

・点滴での栄養では症状の回復の助けにならない。

・よって中心静脈栄養しか選択肢が無かった。

・家族の希望があれば中心静脈栄養は中止できるが、餓死してしまう。

・中心静脈栄養でも数日で亡くなる事もあるし、数年長生きすることもある。

・死生観は患者さんおよび家族のお考えに左右される。

・2度目の誤嚥性肺炎の症状の状況から、最期をここで迎える心の備えをしてほしい。

 

こんな事になってしまうとは。。。

 

昨日まで、そこそこ明るい希望、小さい希望は次の通りでした。。。

・1回目の誤嚥性肺炎からの完全な回復を目指す。

・しばらく誤嚥が継続しなければ特養へお引越しができるはず。

・万が一、誤嚥を繰り返すようであれば、再びおじいちゃんに胃瘻の勧めるしかない。

・胃瘻を受け入れたら、設置術をして胃瘻の手順を修得するためのリハビリ。

・なんとか短期間で胃瘻に慣れ、特養へお引越しができるはず。

 

よって、我々のシナリオの中には「中心静脈栄養」という言葉が全く存在しなかったどころか、それがいったい何であるかも知らなかったのです。

 

少なくとも末期がんのターミナルケアへ移行した母にも、それはされてなかったですし。。。(見えてなかっただけだろうか…)

 

 

なので「最期をここで迎えるかもしれない」というのも全くの想定外。。。

 

天命なのか、介入なのかの疑問もそんなことで自問自答せざるを得ず。。。この辺りは前にも述べた通りです。

 

 

もう一つ、現実的に考えて真剣に悩ましかったのが、「この状態がどのくらい続くのだろうか?」ということと、「医療介護の維持費の負担に私たちは耐えられるか?」ということ。

 

世の中には自宅介護に献身的な家族はたくさんいらっしゃって、寝たきりの高齢者の下の世話にはじまり、床ずれ防止の対応、医療介入がある場合は投薬や痰の除去などの手当てなど。。。

 

これらは全部テレビの中の世界、本当に一部の献身的な方の偉業であると、他人ごとに思っていたのですが、これが突然、現実的な形で自分に迫ってきたのです。。。

 

頭の中で下記のような考えがグルグルと回ります。。。

 

・自宅での介護って?  。。。。。無理無理。やったことないし。何やったらいいの?

・自宅介護を誰が?。。。。会社を辞められないし、かみさんは子供達の受験の世話が。。。

・叔母や義父の介護との両立? 。。。。今でもヒーヒーなので出来るわけがない。。

・特養は? 。。。。医療介護が必要な患者は受け入れ不可。

・今までの老人ホームは? 。。。医療介護が必要な患者は受け入れ不可。

・医療介護施設は? 。。。。有料施設は高額。安価な公的施設は順番がなかなか回ってこないと言うし。。。

・お金は? 。。。。医療費、医療介護施設の入所や管理費用を払える?おじいちゃんの年金の範囲内?

 

はい。そうです。

おじいちゃんの状況もとっても心配なのですが、私も大人の社会人として上記のような現実的な将来の問題に気付きますし、同時に目処が見えないととても心配になります。。。。

そうは言ってもすぐにも現実的な解決方法を見つけ出し、解決しなくてなならないのです。。。

 

特に我々夫婦に直接かかる負担とお金の心配は深刻です。。。

 

この時点で体力的にはいっぱいいっぱいでしたし、自身の家庭内を振り返ると、長男が大学に入学してほっとしたものの、来年は娘が中学受験、再来年は次男が大学受験です。我々夫婦のやるべきこととその出費はかなりのものになります。

 

そんなギリギリのなかで、今回のおじいちゃんの超ネガティブ将来展望がやってきたのです。

 

昔、おじいちゃんがT病院に検査入院した時の主治医の先生の言葉がここへ来て身に沁みます。。。。「既に家庭崩壊寸前だからね。。。前もってきちんと準備を。」

はい、おっしゃる通りでした。今、その時が来ました。

 

ただ、そう簡単には決断も解決もできません。。。何もかも初めてなので。。。

 

さらに心配な先生の一言は「数年長生きすることもある」の部分。

これは「この生活がいつまで続くのか。。。」という一種の嘆きになるのですが、もっと現実体な事を言うと「この生活があと〇年続いたら、我々の人生は崩壊するかもしれない」といった危機意識だったのです。

 

体力も、金銭的な負担も、モチベーションも。。。

 

全てが「いつか終わるから」という「期限付き」であるからこそですが、例えば5年続くとか、10年続くとかなると、相当な覚悟が必要となるのです。

 

先ほども申し上げた通り、テレビなどではそれを決断をして実行している方々がたくさんいらっしゃいますが、そんな方々の心境・境地にはまだまだ達しておらず、どうしてよいのやら心配ばかりが頭を駆け巡ります。

 

とにかく、とにかく、この時は考える時間が無い、知識も無い、覚悟も無いという、かなり情けない状況がしばらく続くのでした。。。。