介護生活94 勝手に中心静脈栄養が。。。
<2019年11月14日 私から娘へのレター>
KD病院に着くと、おじいちゃん(父)は既に首から(正確には鎖骨当たり)からチューブに繋がれていました。
腕にも高熱の原因となってる肺炎を直すため、抗菌剤の点滴に繋がれてます。
もちろん意識はもうろうとしており話ができるような状態でありません。。。
「あぁ。。。また死への淵へと戻ってしまったのかなぁ。。。」
この時のおじいちゃんの様子を見たら、だれもがそう思うに違いありません。
それにしてもこの首からのチューブは何??
先生からの説明を受けたところ、これは「中心静脈栄養」とのこと。
あれ? 次のステップは「胃瘻」じゃなかったの??
どうやら胃瘻を通り越して中心静脈栄養にひとっ飛びのようです。。。
先生の話では、しばらく点滴で栄養を送ったが、栄養状態が悪いことと誤嚥性肺炎の再発からみて、経口での栄養摂取はもはや無理と判断したのことでした。
中心静脈栄養は、血管にカテーテルを挿入、心臓までチューブを送り、栄養剤をそこから全身に送るというかなり強引な栄養摂取方法です。
私自身、先生から説明を受けるまで、単なる栄養剤の点滴を腕からでなく、首から入れてるだけと思っていたのですが、なんとカテーテルが心臓まで伸びているとは。。。
このカテーテルも定期的に交換が必要なため、その度に感染症のリスクがありますが、おじいちゃんにはもうこの方法しかないと判断したそうです。
後から、例の優秀な老人ホームのケアマネさんに報告すると。。。
ケアマネさん:「ちゃんと実施前に説明は受けたのですか?」
私:「いいえ。病院に行ったら既にこんな姿に。。。」
ケアマネさん:「中心静脈栄養は、お父様にとってはかなり最終的なステップになるので、同意説明は必須のはずです。勝手に実施するのは少々乱暴ですね。」
私:「えっ、そんなに深刻な状況なのですか?」
ケアマネさん:「通常、一度、中心静脈栄養にしてしまったらもう止められませんよ」
私:「えっ、そうなんですか? 一時的なものではないのですか?」
ケアマネさん:「胃瘻も中心静脈栄養もある種の延命措置です。お父様が嫌だと言っていたチューブに巻かれる状態です。ですので設置する場合は家族との十分な相談と同意が必要なはず。天命に任すか、延命させるかの判断が本人か家族にあったはずです。」
そうです、中心静脈栄養を中止する = 餓死させるということです。
一度、中心静脈栄養を設置したら、先生の判断では外せません。
死んでしまうからです。
家族の判断では外せます。。。
でも、死ぬとわかってそんなことできませんよね?
この時に初めて気が付いたのですが、胃瘻も同じことです。中止したら餓死です。
私が悩んでいた頃、まだおじいちゃんには明らかに意識があったので、胃瘻に移行しても人間らしい会話なり、関わりができたというのが今の状況との大きな違いです。
胃瘻をしても、途中で「外すべきではないか」と考えるようなことは当分ないだろうと、全く前提として考えていませんでした。まぁ、おじいちゃんは胃瘻を拒否した訳ですが。。。。
一方、今のおじいちゃんは違ってます。
誤嚥性肺炎を原因とした病気ではあるのですが、「一つの命」という見方をした場合、これは既に人間としての「衰弱」とか「老衰」といった言葉で言い表すこともできる状態ではないでしょうか?
つまり、この中心静脈栄養に頼った延命って、おじいちゃんの天命に「介入」してしまったことになっているのでは???
これは私のような普通の一般人にはかなり混乱する話です。
「天命で亡くなるはずだったおじいちゃんの。。。美しい天国への歩みを無理くり引き戻してしまったのかも?」
「いやいや、不慮の誤嚥性肺炎から天命が全うできなかったおじいちゃんに、本来の天命を全うするチャンスを与えることができたのかも?」
後者は完全にこの場で対処した先生の目線だと思います。
命を救うのが先生の仕事ですから。
が。。。一方、家族は複雑です。
「これって天命なのだろうか?」。。。。
母が癌で亡くなった時の事を急に思い出しました。
プロローグで記しましたが、胃癌による胃全摘5年後に膀胱癌が再発。
これはある意味、現在の医療レベルに沿った天命に従った措置だったかと思います。
それでも、モルヒネで完全に意識が無くなってから亡くなるまでの1週間の母の状態は身内として見ていられませんでした。
病室で2人きりになった時、母の手を握って「おかあさん、これって相当つらいよね。早く楽になりたいよね。もう我慢なんかしたくないよね。。。」と声を上げて話かけました。
母の場合、先生方のターミナルケアのおかげで末期がんの激しい痛みで苦しむことなく最期を迎えることができたのですが、やはり「意識が無くなってから」の最後の1週間はいたずらな延命じゃないかなっと今でも思い出します。
意識のない母から痰を吸引する時の、あの手足がビクビクする姿。。。
いつも凛としていた美しい母だったのに、これはないでしょって。。。
当時、介護の経験のなかった私には、本当に直視ができない最後の1週間でした。。。
おじいちゃんも、この愛する母の最期は見ていたはず。。。
こんなことを思い出しながら、先生の話をお聞きし。。。
おじいちゃんのために先生方が最善を尽くしていることは分かるんですが。。。
一方で、それって本当におじいちゃんの望んでいることとは思えない。。。
そんな自問自答を繰り返すのでした。。。