介護生活107 クリスマスは病室で!
<2019年12月31日 私から長男へのレター>
クリスマスには娘がおじいちゃん(父)の似顔絵を描いてきました。
年末になるとかなりおじいちゃんも弱々しくなり、ニギニギコミュニケーションもあったり、なかったり。。。
力が入らないのかな?
でも、娘は一生懸命、おじいちゃんを励まします。
「私だよ! Mだよ! 来たよ!」
「ほら、おじいちゃんの似顔絵を描いてきたよ! クリスマスプレゼントだよ!」
「私、来年中学受験なんだよ。一生懸命勉強しているよ!」
「受験、絶対合格するからね~! だから、おじいちゃんもがんばって!」
なんだか、映画のワンシーンを見るようで、なかなか娘、涙を誘う会話をします。。。
おじいちゃんは反応なしで、ほぼほぼ眠っている状態。。。
起こすもの可哀そうでしたが、娘はミトンを取って、手を握って話しかけます。
中心静脈栄養になって、もう数か月が経ちますが、おじいちゃん、あまり痩せこけもせず、とても艶の良い肌をしています。
我が一族の血なのでしょうか? 皺があまりなく肌もつるつる。 私達の家族の中で唯一血の繋がっていないかみさんはとても羨ましがります。。。
髪もきれいな白髪でふさふさ。。。
〇ゲ家系のかみさんは、ここでも羨ましがります(笑)
ですので、病人が横たわてっているようには見えず、なんだか直ぐに調子を取り戻して退院できるような気になります。
延命措置には、この時点でしない決断をしてましたが、これだけ肌の艶も良いので、あわよくば正気に戻って、スタスタと歩いて一緒に帰れる。。。? せめて一緒に食事に行けるぐらいの頃に戻れれば。。。っと考えるのですが、理系の私は直ぐに正気に戻って「進行性なんだよね。。。」っと。。。
大人の私でも思わずそう思うので、娘はたぶん本当に「スタスタと歩いて一緒に帰れる」ほど回復すると信じていたのかもしれません。。。
長男と次男は物心がついている時におばあちゃん達(私の母とかみさんの母)の死を見て来てます。
このブログの最初のプロローグで紹介しましたが、私の母は癌でしたので、再発転移がみつかってからはあっという間。その間、長男も次男も何度かお見舞に行きましたし、亡くなる直前は、長男も次男も何度か危篤で夜中に呼び出されたり、病院に泊まったりと。。。結構、彼らの記憶にはちゃんと残っており、今回のおじいちゃんの様子もそのような記憶を前提として経緯を見つめていたと思います。
娘はその時、1歳直前です。
母の命日は2/8で娘の誕生日は2/23でしたから。。。
やっとハイハイが出来たころ。
義母(かみさんの母)は義父のスピンオフで紹介しましたが、母の死の1ヵ月前、1/3に心不全で亡くなりました。。。
実は、この時が長男と次男の初めての身内の死になるのですが、つまり今日まで2人の身内の死を見てきているのです。。。
ですので、どうにもならない自然の摂理は実感として持っていたのです。
一方、娘は。。。
娘は死に向かっていく人の姿を一度も見たことがない。
テレビや映画のように、ハッピーエンドでいつかは治ってしまうとどこかで信じていたのかもしれません。
娘の、眠ってしまっているおじいちゃんへ掛ける会話や絵をかいたりする姿を見ていると、全然諦めていない感が出てましたし。。。
現実的な大人になってしまっている我々から見ると、ほんと泣けてきます。。。
こういう「情操教育」っていうのも、おじいちゃんからのプレゼントですね。
本や映画では到底教われない。。。私達、親や大人たちにも実感をもって、そしてリアルな状況をもっては絶対に教えられない。
おじいちゃんとの長きにわたる交流があり、楽しい思い出があり、そして途中、このような介護があって初めて身に付くものだと思いました。。。
ほんと、この頃の娘、羽のある天使、妖精のような振舞いでしたね。