おじいちゃん介護のお手紙メモリー

おじいちゃん介護のお手紙メモリー

数年間に渡る父の介護が、父の死去とともに終わり早1年、いろいろあった出来事をイラスト・レターにしたため、介護に協力してくれた3人の子供たちにちょっとずつ送ることにしました。ただ送ってももったいないので、ブログに記録し、同じような介護生活を過ごしている方々に紹介しようと思いました。いつまで続くか、どこまで書けるかわかりませんが、笑いあり、苦労あり、涙ありの介護生活をどうぞご覧ください。

スピンオフ11 2度目の手術は2回に分けて。。。

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No. 111

<2019年8月29日 私から娘へのレター>

義父さんの2度目の手術。。。

 

実は記憶があまり定かではないのですが、幸い、当時、先生に見せて頂いたレントゲン写真を写メで撮っておいたので、それを見ながら思い出そうと思います。

 

まず、プレートがひと回り長いものに変えました。より広い範囲にボルトを打ち込み、背骨を支える範囲を大幅に広げることで、ボルト一つ一つにかかる力を分散させたそうです。

 

そして、潰れた2つの椎体ですが、人口骨をジャッキのように挟み込んで再建すると言っていました。

 

ただ、「固い人口骨を挟み込むと、結果的に前後の骨に偏った力が掛かり、第3、第4の椎体骨折を起こすリスクがありますが、いいですね」っという説明もきちんと受けたのを覚えています。

 

さらに手術が複雑なので、背骨側からと腹側から、2回の手術を時間を開けて実施するとの事。。。

 

もう私達家族も、ここまで来たら先生を信じてやられるがままです。。。

 

義父さんは「酷い術後せん妄を起こすので、術後はどうぞガシガシに拘束してください」と申告したりして。。。笑

結果的にちゃんと2度、ガシガシに拘束されることになったのですが。。。

 

 

いつか心臓バイパス手術で自慢してた通り、文字通りの「人造人間」になってしまったという感じですね。。。

 

それにしても、手術中にかみさんと話した内容はこんな感じ。。。
不謹慎とは思いますが。。。

「体重測る時はこの金具の重量分は差し引いて記録するのかなぁ?」とか、

「空港などにある、身体検査ゲートでピンポンって鳴っちゃうよね〜  これ、どうやって説明するんだろう?」とか、

「亡くなってしまい、ご遺体を焼いた後にこの金具達はどこに行ってしまうのだろう?」とか、

てな感じで。。。

 

義父さん、ごめんなさい!

 

 

それにしても80歳でよくこんなに大きな手術を3回も耐えたものです。

 

冷静に考えたら、これらの手術はだいたい1回100万円ぐらい(1割負担で10万円?)だったと記憶してますので、3回で300万円?

 

万が一75歳未満で後期高齢者保健料が適用されてなかったら3割負担になるし、月当たりの医療費上限もそんなに低くはなかったはずなので、きっと自己負担は大変なことになっていたと思います。。。

 

不幸中の幸い?

 

いやいや、ちゃんと予防薬を飲んで、コルセットしていたらこんな病気にはならず、医療費も節約できたはず!

 

 

ということで、義父さんの退院後の生活を、そろそろきっちりと考えなくてはならなくなったのです。。。

 

なぜなら、この頃既におじいちゃん(父)との同居の話が固まった頃だったのですから。。。