おじいちゃん介護のお手紙メモリー

おじいちゃん介護のお手紙メモリー

数年間に渡る父の介護が、父の死去とともに終わり早1年、いろいろあった出来事をイラスト・レターにしたため、介護に協力してくれた3人の子供たちにちょっとずつ送ることにしました。ただ送ってももったいないので、ブログに記録し、同じような介護生活を過ごしている方々に紹介しようと思いました。いつまで続くか、どこまで書けるかわかりませんが、笑いあり、苦労あり、涙ありの介護生活をどうぞご覧ください。

介護生活89 姉がやって来た!

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No. 157

<2019年11月10日 私から長男へのレター>

このブログとは関係ないですが、今日は令和天皇即位の礼の祝賀パレードがあり、朝から赤坂御所前を4時間以上並んで観てきました。おじいちゃん(父)は、平成天皇即位の礼や令和天皇が皇太子だった頃の雅子さまとのご成婚のパレードは観に行ったのかなぁ?

 

さて、胃瘻をせずに退院したおじいちゃんですが、死相が漂う時期をさんざん見てしまった私達夫婦も、さすがに行く末が不安になり、遠方で暮らす姉に、できるだけ早いうちに会っておいた方が良いと連絡しました。

 

おじいちゃんと同居した際、実家をリフォームしたので遊びにおいでと、姉夫婦には何度か誘っていたのですが、少し体調が悪かったのと、遠方だったということで、今日までずるずると東京に出てきていなかったのです。

 

姉は心底明るく面白い人で、大学も母の影響もあってか音楽の道(チェロ奏者)を選び、地方の交響楽団を夫婦で立ち上げた人です。

 

おじいちゃんや母が元気だった頃は、結婚後移り住んだ姉のお家に、クリスマスにお泊まりで遊びに行ったり、長瀞へ日帰りBBQに行ったり、もちろん姉夫婦(夫もバイオリニストです!)のコンサートに行ったりと、楽しい、幸せな日々を過ごしたものでした。おじいちゃんも母もこの上なく上機嫌。孫も元気で、我が一族の一番の幸福な時期でした。

 

しかし、母が亡くなって、我が家の子供達も日帰りBBQよりも2泊ぐらいのキャンプに興味が移ると、おじいちゃんはテントでの泊りがけは無理なので、自然と関係が疎遠になり。。。

 

ということで、久しぶりの対面が、こんな時期にずれ込んでしまったわけです。

 

 

老人ホームのおじいちゃんの部屋に案内すると。。。

いつもの明るい声で「お父さん! E子だよ! 大丈夫? 久しぶり~」っと部屋中に姉の明るい声が響きます。

 

おじいちゃんもびっくりした顔で「おぉ、E子かぁ~」っとしっかりとした声で返答。

 

うんうん、おじいちゃん、私の娘(孫娘)の名前をふと忘れてしまった直後でしたが、実の娘(姉)の名前は忘れてなかったようですね。よかった、よかった。。。

 

ところが、直ぐ後に出てきた次の言葉にびっくり。。。。。

 

 

「ところで、お母さんはどうした。。。」

 

 

私とかみさんは顔を見合わせて二人とも、「えっ!」っと。。。。

 

それもそのはず。。。。

 

プロローグのエピソードで紹介したかと思いますが、おじいちゃんは母の葬儀を完璧にプロデュースし、しばらくずっとその葬儀の完璧さを自慢していました。

 

なんだか妻の葬儀のプロデュースを自慢するなって。。。っと眉をしかめる方もいるかと思いますが、おじいちゃん、こやって自分なりに母の死を受け入れようと努力していたのだと思います。

 

長い期間、この自慢話が続きましたが、徐々にその話もしなくなり。。。

 

私達も他の話へのもっていき方に困っていたので、時折「お母さんがいなくて寂しいね」とぼやくと、おじいちゃんも「やっぱり一人は寂しいよ。話す相手がいないし。。。ひとりで旅行にいってもつまらないよ」と。。。

 

そうこうしているうちに認知症が進んでいってしまったのですが、気が付くと全く母の話をしていないのです。。。

 

断捨離シリーズでも、おじいちゃんの持ち物のあれこれについて触れましたが、やはり自分自身の武勇伝についてはあれこれウンチクを話すのですが、時折、母の遺品が出てきても、全く知らん顔。。。懐かしむといった反応は無しです。

 

知ってか知らずか。。。

「気が付かないふり?」っと思ったりして。。。

 

なんだかこの話題、あまり触れてはいけないのかと思って、私達夫婦もこちらから母の話を切り出すのを躊躇するようになったのです。。。

 

そんなかんだで、同居開始して数年、殆ど母の話が出なくなっていたのでした。。。

 

この状況にはさすがに我々夫婦も気が付いており、「お母さんの話、全然しないよね?」とか、「お母さんの話を避けてるのかな?」とか、「お母さんの話は辛いのかな?」とか、最後には「お母さんの事を忘れちゃったのかな?」とまで。。。

 

それが。。。

 

それがです。。。

 

姉と一声交わしただけで、次の言葉が。。。

 

「ところで、お母さんはどうした。。。」

 

 

これには、びっくり。

姉は知らなかったと思いますが、私たちは先ほどの背景からかなりの衝撃の一言でした。

 

「えっ」って感じ。。。

「何でここで?」って感じ。。。

 

姉の声が母に似ていたのでしょうか?

姉の面影が母に似ていたのでしょうか?

姉の話っぷりが母に似てたのでしょうか?

 

こんな一言が出るとは全く予想してなかったため、私は相当取り乱してしまい。。。

 

「忘れちゃったの? お母さんは亡くなったよ」

 

っと。。。思わず全く気の利かない、なんとも冷たい一言を返してしまったのです。

 

 

今でも、悔やまれる一言。。。。

 

 

 

その後、やはりおじいちゃんは母の話には触れず。。。

ついにおじいちゃんが亡くなるまで、母の話は二度と出てこなかったのです。。。

 

 

あ~もう情けない!

何年息子やってるんだよ。

介護なんかより、こういう場面での対応が大事だろっ!

もっとよく考えてから行動しろよっ!

 

いまでも、あの一瞬を思い出すと、背中が震え、不思議と涙が出そうになります。

 

なぜ、おじいちゃんあの時。。。。

 

おじいちゃん、ごめんなさい。。。