おじいちゃん介護のお手紙メモリー

おじいちゃん介護のお手紙メモリー

数年間に渡る父の介護が、父の死去とともに終わり早1年、いろいろあった出来事をイラスト・レターにしたため、介護に協力してくれた3人の子供たちにちょっとずつ送ることにしました。ただ送ってももったいないので、ブログに記録し、同じような介護生活を過ごしている方々に紹介しようと思いました。いつまで続くか、どこまで書けるかわかりませんが、笑いあり、苦労あり、涙ありの介護生活をどうぞご覧ください。

スピンオフ1 義母の死。。。

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No. 101

<2019年8月20日 私から次男へのレター>

さて、スピンオフの始まりです。

 

おじいちゃん(父)の老人ホーム探索は、かみさんの父、義父さんの経験が基になってますので、ここから義父さんの物語をお話しします。。。

 

物語は悲劇から始まります。

 

母が癌で闘病をしていた頃は長男、次男はそれぞれ小学生、幼稚園の可愛い盛り。娘ももうすぐ1歳ということで、子供たちはそれぞれの両親から遊びに来いと引っ張りだこです。

 

かみさんが大阪出身ということで、東京育ちの私としては「第二の故郷」というもが出来、「故郷へ帰省」という特別な行事にも参加できるようになったのです。。。

 

おばあちゃん、おじいちゃんに甘やかされる孫たちは、会う度にチヤホヤされて嬉しい事ばかり。大阪では、近所の知らない関西弁の子供にどやされて(別にどやしてないのですが関西弁かそう聞こえる)、半べそかいたりして。。。

 

 

そういう交流を5~6年続けてきた頃でしょうか?

 

私の母は5年前に全摘した胃癌が膀胱に再発、その年の年末にはほぼターミナルケアへ移行するという深刻な状態へ。

 

私達夫婦も間近に迫る「母の来たるべき日」のために、毎日少しずつ心の準備をしてきたのでした。。。

 

 

ところが。。。

 

年明けの1/3の夜、正月のお節料理も飽きた頃、夜に湯葉鍋をさあつつこうとした直前、電話が鳴ったのです。。。

 

かみさんが電話を取ると、表情が変わり、何やら尋常じゃない様子。。。。

 

かみさん:「お母さんが救急車で運ばれたらしい。。。どうしたんだろう。。大丈夫かなぁ。。」

 

もちろん既に泣きそう。。。

 

私:「何だろね。。。まだ理由が分からないし、あまり深く考えなくてもいいんじゃない?きっと大丈夫だよ。」

 

っと、慰め半分、かみさんの気を逸らそうと、あまり気の利いた言葉も掛けずにいると。。。

 

5分もしないうちに直ぐに2度目の電話が鳴ったのです!

 

かみさん:「。。。。。 え―――――――っ

 

直ぐに泣き崩れ。。。。。。

 

狂ったように「可哀そう! お母さん可哀そう! わーーーっ

 

 

取り乱したかみさんを見てビックリした子供達に「ちょっ、ちょっと待っててね!」と言い残し。。。

 

湯葉鍋の火を消して。。。

 

直ぐにかみさんを寝室へ。。。

 

わんわん泣き叫ぶかみさんを抱きかかえるしかその時は何もできず。。。。

 

 

30分程経って、やっとかみさんも落ち着いてきたので。。。

 

私:「大阪に残っている義父さんもさぞかし気が狂う心境だろうと思う。。。たぶん、今はぼう然としてきっと何もできないだろうと思う。とにかくポスト僕は直ぐに大阪に向かうよ!」

 

そしてまだ呆然としているかみさんに。。。

 

私:「辛いのは分かるけど、しっかり子供の面倒をみていてね! 僕が義父さんに代わって当面の大阪の対応を全部してくるから。。。ママは今、取り乱しているから何もできないと思うし、誰かが子供の面倒をきっちり見ないといけないし。。。義母さんが亡くなってしまって、さらに我々の不注意で子供達に何か事故が起こったらそれこそ不幸のどん底だからね! しっかりねっ! 整ったら呼ぶからね!」

 

 

そう言い残して、着の身着のまま新幹線に飛び乗ったのです。。。

 

 

 

その後の経緯は省略しますが、悲しみに満ち満ちた葬儀を無事に終えた後、義母さんの机をふと見ると。。。なんと亡くなった日、1/3付けの手紙の下書きが置いてあったのでした。。。

 

そのあて先は何と私の母!

 

闘病生活に対する母への気遣いと、お互いの子供たちが立派に育ったこと、可愛い孫たちにも囲まれこんなに幸せな人生はないということを綴った、心のこもった内容でした。。。。

 

義母さん、この手紙を書いた日に亡くなってしまったんだ。。。

 

本当に泣けてきます。。。

 

死因は心不全による突然死。

 

入院や老衰での死ではなく、部屋で倒れていたところを発見されたので、亡骸は警察に運ばれ、司法解剖です。他殺、自殺、病死、事故死なのかを見極めます。


よって、大阪での私の最初のお仕事は司法解剖後の「本人確認と遺体引き取り手続き」だったのです。

 

義父さん、ここまで呆然と一切涙を見せなかったのですが、この安置所での対面の時だけは大声でワンワン泣いておりました。

 

 

それにしてかみさんと義父さんは本当につらかっただろうなぁ。。。なんといっても心の準備が出来て無かったから。

 

1ヶ月後の2/8には、闘病中の私の母も亡くなりました。私もおじいちゃんもすっかり心の準備はできていましたし、本人も入院中にたくさんの生徒さんや同僚などのお見舞があったので、この世に思い残すことはあまりなかったでしょう。

 

ところが義母さんの様な突然死の場合は全く異なります。

 

「もっと頻繁に大阪に帰省すれば良かった」とか、「家族旅行に招待すればよかった」とか、後悔に尽きません。。。なによりも無念だったのはご本人だったかと。。。

 

 

それにしても優しいお手紙。。。。

 

母も義母さんもとて良い人です。

 

どうしてこういう良い人が意に反した死を遂げなくてはならないんだろうと、もっと悪い人はこの世の中にごまんといるのに。。。何でうちの母と義母さんなんだろう?

 

おじいちゃん(父)は、葬式もあるので闘病中の母にも真実を伝えるべきだと強く言うので、かみさん涙の報告。母も涙の対応。

 

なんて残酷なんでしょう。。。

 

「神さまなんていないっ」と、この時は流石に頭をよぎり。。。「宗教なんて良いことばかり書いて偽りだらけだ!」っと思ったりしました。

 

 

そんな壮絶な経緯の末、大阪に一人ぼっちになってしまった義父さんをどうしようかと話し合いに。。。

 

結論は直ぐに決まり。。。

 

「私たちの住む家の近くに住んでもうらおう!」、「みそ汁が冷えないぐらいの距離に!」

 

一人っ子のかみさんにとっては唯一の肉親ですしね。。。