おじいちゃん介護のお手紙メモリー

おじいちゃん介護のお手紙メモリー

数年間に渡る父の介護が、父の死去とともに終わり早1年、いろいろあった出来事をイラスト・レターにしたため、介護に協力してくれた3人の子供たちにちょっとずつ送ることにしました。ただ送ってももったいないので、ブログに記録し、同じような介護生活を過ごしている方々に紹介しようと思いました。いつまで続くか、どこまで書けるかわかりませんが、笑いあり、苦労あり、涙ありの介護生活をどうぞご覧ください。

介護生活72 良い事もありました!

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No. 140

<2019年10月19日 私から次男へのレター>

年が明けてしばらくすると、久しぶりに良いニュース!

そう、一浪していた長男がようやく大学に合格!

 

おじいちゃんの介護、伯母の骨折入院のあたふたした生活の中で、親としては全くほったらかしの長男でしたが、そのあたりは大人の長男坊、よく頑張りました!

 

早速、老人ホームのおじいちゃん(父)に報告。

 

いつもの如く、しわくちゃの顔で喜んでくれます。

 

長男、とっておきの持ちネタとして、一浪していた間の頑張り、一浪したからこそ変われた考え方や、新たに身に付いた世の中を見る目などの話をするのですが。。。

 

ここはおじいちゃん、記憶が鮮明に残る輝かしい自分史ネタで対抗します。

 

「おじいちゃんは、飛び級で大学に行ったんだ!」

「でも入ってから、1年下だから周りに追いつくのが大変だったんだ」

「理系で入学したけど、大学院は経済学部だから、両刀使いなんだぞ」

 

いやいや、この年になって学歴で自慢話ができるのは羨ましい。。。

 

「大学に入れるだけの資金があったからじゃないの? 親のおかげだよ」とか、

「戦争で若い方がたくさん亡くなったので、人材育成最優先の時代だったのでは?」とか、

「大学院を理系を選ばらなかったなんて、単に理系進学を挫折しただけじゃない?」とか、

こうやって、私も長男として横からちゃちゃを入れるのですが、まったく動じず。。。

 

断捨離の時におじいちゃんの学生時代の写真を見たことがありますが、スキー三昧、女子とピクニックとか、本当に楽しそう。今の若者と変わらない。

 

戦争中に中学生だったので、社会人になったと時はちょうど高度成長期の始まりで、その怒涛の時代を駆け抜け、今の日本をほぼほぼ作りあげた世代です。

 

商社で工場機械の輸出入をしていたので、輸入なら日本の生産業の基盤を、輸出なら日本の製造業の発展に貢献したはず。

 

お役所に出向いては、当時の未成熟な規制の細かい解釈の確認や、いろいろな輸出入の手法の法的可否の交渉を直談判にいっていたと、良く自慢話しをしてました。まるで今のIT業界みたいですね。

 

そう、おじいちゃんは、今、こうやって若者がぬくぬくと生きていけるようになった日本を形作った方達の一人なのです。

 

 

私の長男は、おじいちゃんのような立派な大人になれるだろうか?

私は、おじいちゃんの期待に応えられる大人になっているのだろうか?

 

波乱に満ちたここ数年、おじいちゃんは「お前に全て任せた」とか「いい息子を持った」とか言ってくれるのですが、認知症になってからの感想だし、こんな晩年になってからのコメントだしなぁ。。。

 

こういうのは元気な時に言ってほしかったなぁ。。。

 

 

かみさんは、「パパは自慢の息子だよ。おじいちゃん、何も心配しないで生きていけるって凄いよ」っと言ってくれるので、それを信じよう。。。

 

とにもかくにも。。。

「息子よ頑張れっ」と、当時、おじいちゃんと一緒に長男に喝を入れたのでした。