断捨離3 いったいネクタイ何本持ってるの?
<2019年3月14日 私から長男へのレター>
断捨離は自分ではなかなか出来ない。
1つ1つに忘れがたい思い出上があり、
おじいちゃん(父)にとっての語りつくせないストーリーがあるからだ(たぶん。。。)
他人の手でしか絶対無理。
だから普通は葬式の後なんかにやるんだろうなぁ。。。
おじいちゃんの断捨離の対象も、ご多分に漏れずそんな品々である。
リフォームの必要性があって、申し訳ないが私、愛する息子がそれを買って出たわけである。
でも、他人がパッパッと捨ててくれるのだから、1人よりはずっとはかどったはず。
ということで、家じゅうの引出しを散策すると、すぐに大量の下着や靴下、普段着や寝間着などが、きちんと畳まれて長年使われず眠っていた。
未使用のものが大量に出てくると、
「周到に準備をしているしっかり者の父」?
「買ったこと(置いた場所)をすっかり忘れてしまった年老いた父」?
この2つのイメージが頭を交差する。
「どっちなんだろう?」と思った時点で、
もう、たぶん認知症は始まってるんですよね。。。。
いつ買ったか、どこで買ったか、何のためにかったか、全く覚えてないし。
しかしです。。
しかし、しかし。。
ずっと昔のことはしっかり覚えていたんですよねおじいちゃんは。
つまり記憶を脳に入力する入り口、脳の場所でいう海馬が壊れてしまっただけで、
昔の記憶を留めておく大脳皮質は全く無事だったのです。
ということで、クローゼットの奥に何やら怪しい紐の束があると思ったら。。。
そう、大量のネクタイ。。。
色とりどり。
柄も派手派手だったり、ジミーーーーだったり。
ブランド品からノーブランド品も
数えると200本以上。
背広と同じく、汗ジミと黄ばみ、ほつれ具合を見ていると、おじいちゃんがサラリーマン時代に駆け抜けた風景が目に浮かびます。
朝の背広姿、きちっとしてたもんなぁ。。。
今のようにノーネクタイや、カジュアルな服装なんて考えられない時代の企業戦士。
そんな時代を突っ切ったおじいちゃん、企業戦士であったおじいちゃんに、
その時の鎧の1つであるネクタイを
「これちょっと捨てようよ」と言っちゃうのである。
すると。。。
悲しい顔をして「捨てなくてもいいじゃないかぁ。。」と言うし。。。
この繰り返しは、今後の全ての断捨離であるのですが、ネクタイが一番最初かも?
捨てたくないおじいちゃんは、1本1本の思い出話を私にするのです。
「これはアメリカで買ったやつだ」
「これは部長になった頃のかな?」
「これはお母さんとの旅行先で買ったんだ」
「大学のネクタイはラグビー観戦の時のものだ」
そして自慢話もちょこちょこっと
「これ、なかかいい柄なんだ」
「こんなセンスの良い柄はないぞ」
「みんなにセンスがいいって言われてたんだ」
「この色なんて、日本にはないぞ」
でもって
「これお前にやるから会社に着けて行け」
「これなんてどうだ似合うぞ?」
「こんなの持ってる奴は会社にいないぞ」
最初はもう、ただ煩わしく、「もぉ。。断捨離がはかどらないなぁ~」と、ハイハイ聞き流しながら機械的に破棄用ビニール袋にバンバン入れていったのですが。。
だんだんとおじいちゃんの話に引き込まれ。。。
そのうち「まぁ、慌てることがないから、ゆっくり聞きながら断捨離しようか」と、ようやく「良い息子」の私に戻っていくのでした。「頑張れ息子!
いい話をいろいろと聞かせてもらった。
こういったおじいちゃんとのコミュニケーションも悪くないなぁ。。?
使い捨ての我々世代は、こんな会話のきっかけとなる「もの」が将来何一つ無いかも?
結局、数本は私が頂きました。
会社にもつけて行き、おじいちゃんとのエピソードを同僚に伝えると、みなさん「素敵だね」って言ってくれます。同僚、いい人たちだ。。。
ブランド品で、私には似合わず、かつ捨てるのがちょっともったいないいネクタイは、一応、リサイクルショップに持っていきましたが、
「新品以外は値が付かない」との事。
寄付しますっと、それらは全部ショップに置いてきちゃいました(笑)