おじいちゃん介護のお手紙メモリー

おじいちゃん介護のお手紙メモリー

数年間に渡る父の介護が、父の死去とともに終わり早1年、いろいろあった出来事をイラスト・レターにしたため、介護に協力してくれた3人の子供たちにちょっとずつ送ることにしました。ただ送ってももったいないので、ブログに記録し、同じような介護生活を過ごしている方々に紹介しようと思いました。いつまで続くか、どこまで書けるかわかりませんが、笑いあり、苦労あり、涙ありの介護生活をどうぞご覧ください。

断捨離2 まずは大量の不用品

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No. 12

<2019年3月9日 私より娘へのレター>

実家の断捨離がスタートです。

 

リフォームの半年前、引っ越しの1年前ぐらいでしょうか?


家の中で最初に目についたのが、実は何年分なのかわからない程の新聞紙の山、山、山! しかも綺麗に縛ってあり、整然と積まれている。
ここまで準備して、なぜ捨てない?????

 

重かったから?

資源ゴミの収集日がわからなかったから?

それとも何かに使おうとしてた?

 

箪笥には古い背広がぎっしり。
熱血商社マンですからスーツは必需品です。
でも、会社を引退して早15年以上。。。
襟周りもすっかり黄ばみ、生地もところどころ色あせ、カビや傷み。。。

 

それからびっくりするくらい大量の食器たち。
おじいちゃんも母も、お客さんへの歓待が大好きだったので、普通の家庭の3~4倍ほどの食器が溢れかえっていました。
同居の際、食器は全て横浜の我が家で使っている一式に替えようと思っていたので、ほぼほぼ全ての処分が必要だったのです。

 

断捨離は1日して成らず。
これらの処分のため、毎週末に実家を訪れて断捨離の生活が半年続きます。


可燃ゴミ、プラゴミ、ガラス・缶類、食器などはガラゴミ、小さい家電。。
綺麗に分別。おかげで1Fの駐車場は毎週ゴミの山。

 

案の定、「ゴミ収集日を逃した」とか「重くて出せなかった」と。。次の週末に処分されずに残った先週のゴミの山に愕然。。。。これ以上、置くところないじゃん。。。

 

おじいちゃん、運転がおぼつかないことを自覚し、5~6年前に車を処分していたので駐車場が広くてホント良かった。。。


いよいよ見かねて、私の車に可能な限りのゴミを積んで、横浜のマンションのごみ収集所に破棄することに。。

 

あまりに大量のゴミだったので、運転席を除く全てのシートにゴミ、ゴミ、ゴミ。
一見、完全に自動車で夜逃げ中、あるいは家を失った車内生活者のように。。。。
信号待ちなどで、周りの車の運転手や同乗者からジロジロ、ジロジロと視線が痛い。

 

マンション集積場でもたいがい冷や冷やもの。
深夜に車で乗り付け、大量のゴミを運んぶ怪しい人影となっていたはずなので、マンション住民に「通報されるのでは?」と、スリリングな気分を何回も味合わせてもらいました。。


いつしか「ゴミは収集日前日に出すこと」と張り紙が(笑)
マンション管理組合のみなさま、ごめんなさい。
ルールを破っていたのは私です。。。

 

 

さてさて、世の中のゴミ屋敷と呼ばれる場所が多々報告されてますが、我が実家のように「ゴミを出す体力がない」、「ゴミ収集日がわからない」ということでぐちゃぐちゃになっている独居老人も多く含まれていることがわかりました。

 

ご実家と離れて暮らしているみなさま、部屋の散らかり具合やゴミのたまり具合でお父さまやお母さま(特に連れ合いに先立たれた独居の方)の認知症度も測れます。
「昔、律儀な性格だったのに、今、ボロボロ。。」という場合はなおさら。

 

それから、食器の洗い具合もバロメーター。
食洗器があるので綺麗になっている場合もありますが、汚いまま食器棚に入っていたり、やたら欠けた食器を使い続けてたりと。
「昔ならもっと清潔だったのに何で?」と思った時は黄色信号ですね。

 

そんな変化を肌で感じつつ断捨離は進む。。。

 

今、思い出すと、食器や小物などは、オークションやメリカリ、リサイクルショップでも結構な値が付きそうなものもあったかなぁ。。。もったいないことをしたかも。
でも、当時はとてもそんな事に時間を割くことはできなかったですね。

 

疲れて気力もない。。
早く目の前から全て無くなって欲しいと祈る日々。

 

とにかく捨てる捨てる捨てる!
断捨離が間に合わなくてリフォーム開始時期が遅れるという焦りがの方が、「もったいない精神」より上回ってました。